東京国立博物館で開催されている「本阿弥光悦の大宇宙」という展覧会に行った。
私の先生の一人が、光悦は日本で最も優れた芸術家だと言っていたのを思い出したので。
それもうなずける話だと思った。
活躍した領域の広さにおいては、光悦のような万能人は歴史上そうそういないのではないだろうか?
塗り物や焼き物、本の装丁(というのが適切かはわからないが、歌集や謡曲の本の表紙の絵などの作成)や、写経や刀の装飾まで何でもござれという感じだ。
職人であると同時に教養の塊の芸術家だと思った。
以前このブログに書いたことと少し重なるけれど、展覧会場の美術品の多くは元々は展覧会用に作られていない。ことに今回の光悦の作品は、武器だったり茶道具だったり本だったり、それぞれ使い道がある物として作られたはずだ。
しかし、展覧会に行くといつも気になるのが、これらの美しい品々が、実際にどの程度「使われたのか?」という問題である。
名高い名刀正宗も展示してあったが、これは人を斬るのに本当に使われたのだろうか?
また懐刀の類は切腹のためだと思うのだが、血を拭った後に忌避されたりしなかったのだろうか?
お経や謡や歌の本を写す時、芸術家達や読者たちはどこまで内容を理解していたのだろうか?
……このように知りたいことが沢山あるのだけれど、誰に聞いたら良いのかわからず、いつも悶々としている。